「義兄上が──?」
まさか、とその一報を受け取った時、思わずコーネリアは呟いた。あまりにも予想外の報告に俄かには信じがたかったのだ。何かの間違いではないのか?その疑念は、兄が乗った特別機が空港に着陸するのを見ても拭われない程だった。だが、今自分の目の前に立つ男は、紛れもなく自分の義兄であるシュナイゼル・エル・ブリタニア本人だった。
「久しいな、コーネリア。息災で何よりだ」
当たり障りのない挨拶だが、息災、という言葉に明確な皮肉を感じ取って、コーネリアは歯噛みする。ゼロに負け追い詰められたところを、特派の第七世代ナイトメアフーレム、ランスロットに助けられたことをこの義兄は知っているのだ。何しろ特派は、目の前の義兄の肝いりでイレヴンに派遣されており、命令系統も正規のブリタニア軍とは異にする。義兄が知らない筈はなかった。
「義兄上こそ相変わらず忙しくしておられるようだ」
だが、内心を悟られる訳にはいかなかった。敢えて笑みを浮かべて、その程度の皮肉は返してやる。
「そうだな。サミットが閉幕したから、少しは余裕が出来たがな」
何が余裕が出来た、だ。この義兄にそんな時間などある筈がない。現在ブリタニア帝国の皇子皇女の中で最も皇帝の座に近く、外交政策の殆どを握っているのだ。外交上の問題などイレヴンとなったこの国には一切無い。あったとしても、それは現総督たる自分の仕事だ──。幾らサミットが閉幕し、本国への帰途の途中にあるとはいえ、何故義兄がこのタイミングでイレヴンになど立ち寄ったのか、その理由を知る必要があった。
「イレヴンに立ち寄るほどの余裕か──珍しいこともあるものだ」
「──そう警戒するな。少しだけ出来た休暇に個人的に立ち寄ってみただけだ。おまえにも知らせずにおこうかと思ったが──さすがにそういう訳にはいかないからな、連絡だけはしたが・・・。滞在中の私の行動に関しては、気にしなくて良い。護衛も不要だ」
それは暗に関わるな、探るなということか。だが、イレヴンの総督たるコーネリアがそんな言葉を素直に受け入れる訳にはいかなかった。
「そういう訳にはいかぬな。このイレヴンにて義兄上の身に何かあってはこちらの不手際ということになる」
「ああ──先日のおまえのように、か。ゼロと言ったか、随分派手な男だ」
ギリ、と奥歯を噛締めてコーネリアは屈辱に耐えた。義兄らしからぬあまりにも直接的な皮肉だった。後ろに控えるギルフォードがさすがに少し身を乗り出したのを目の端に捉え、コーネリアは小さく手を上げることでその動きを制した。皇女の騎士と雖も、許可無く皇族に発言するなど許されることではない。
「──あの時は・・・義兄上の部隊に助けられた。その点については礼を言おう。だが、ゼロについては、決してこのままにはしない」
「特派の──ランスロットか。あれは役にたったようだな」
事実を認めたくなくとも認めねばならない。頑迷に否定し現実を見誤るような愚かさを、生憎コーネリアは持ち合わせていなかった。
「ああ・・・あの戦闘能力は驚嘆に値する。──デヴァイサーを含めてな。だが、ゼロを追い詰めた後、暴走状態に陥っていた。まだ試作段階を出るものではないようだな」
助けられた立場上、こちらが不利であることは分かっていても、何も返さない訳にはいかなかった。だが、コーネリアの発言を聞いた瞬間、シュナイゼルの空気が一変した。怜悧な美貌には穏やかな笑みが浮かんでいる。だが眼差しは冷たく鋭く、向けられたコーネリアは一瞬臆してしまった。
「──暴走状態に陥った原因は、分かっているのか?」
「いや──機体の不具合ではなく、デヴァイサーの精神的なものによるものだということは分かっているが」
恐らくこの程度の情報は、特派から義兄に報告が入っているだろう。義兄はそうか、と頷いただけで、コーネリアの教えた内容には興味が無さそうだった。先ほど見せた眼差しは既に無かった。ゼロに関しては、一つ興味深い報告が上がっていた。ヴィレッタ卿を初めとする純潔派の面々から上げられた報告だ。だがその内容まで義兄に教える義理などコーネリアには無い。その必要も無かった。
「そのデヴァイサーの様子は?」
「身体的疲労は兎も角、精神的疲労が大きいということで、軍病院に入院中だが・・・果たしてまた使い物になるか微妙だな」
それがどうかしたのか、と言い掛けた言葉をコーネリアは飲み込んだ。何だ・・・これは?義兄の纏う空気にコーネリアは戸惑った。義兄との付き合いは、常に腹の探りあいで気を許したことなど一度も無いし、本当の姿などお互いに見せたこともない。それでも関わった年数は決して短くはなく、それなりに外に向ける顔というものは心得ている。だが──義兄はどうしたというのだ。
「入院先はどこだ」
「あ、ああ・・・新宿租界の軍病院、だ」
「そうか。ああ、ここまでで良い。おまえも忙しい身だろう。失礼する」
裾を翻し、用意された車に乗り込む義兄を見送りながらコーネリアは違和感に囚われたままだった。つい素直に義兄の問いに答えてしまうほど、義兄の様子は見覚えのないものだった。暫く考えて、コーネリアはその違和感の正体に気付いた。
あれは──焦燥、だ。
だが、あの義兄が一体何に対して焦燥を抱くというのか──。コーネリアにはその理由が分からなかった。
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