枢木スザクは焦っていた。ここ最近いろいろなことがありすぎて焦ってばかりいたような気もするが、そんなことは忘却の彼方だ。これに比べれば月とスッポン、天と地ほどの差がある。
 目の錯覚かもしれないという非常に低い、だが完全否定も出来ない一つの可能性を立て、スザクを焦らす原因である目の前の掲示板に張られた白い紙を穴が開くほどに見つめた。
『辞令。枢木スザクは現時刻をもって一等兵から准尉へ昇格。よって当寄宿舎からの移動を命じる』
 何度見直しても文面は変わらない。つまり、見間違いでもなんでもないということだ。
「ど、どうしよう……」
 枢木スザク一等兵改め枢木スザク准尉。昇格と同時に家なき子決定。






君と僕と彼女で家族ごっこの始まり始まり



 スザクは軍に入隊したと同時に生家と縁を切っている。ゆえにずっと軍の寄宿舎で生活をしてきたのだ。IDにもそう記されている。
 生活してきた寄宿舎は名誉ブリタニア人にとあてがわれたもので、必然的に一等兵や二等兵などが集まることになる。名誉ブリタニア人は消耗品、出世など出来るはずがない。
 と思っていたら、前例のないことに名誉ブリタニア人であるスザクが試作品とはいえナイトメアフレームの騎乗者に選ばれ、かつパイロットであるためには士官でなければいけないとのことでこれまた前例のない六階級特進を果たしてしまったのだ。
 士官となれば一般兵の使う寄宿舎は使用できない。それは分かる。通常ならばここでどこに移動するのかという指示もありそうだが、ここでもスザクの名誉ブリタニア人という身分が話をややこしくさせた。
 名誉ブリタニア人がナイトメアフレームの騎士――スザクの場合はデヴァイサー――になることと引き換えに、スザクが正式に配属することになった特別派遣嚮導技術部――通称特派が研究室ごと軍の敷地から追い出されてしまったのだ。不便にはなるがそれよりも折角手に入ったパーツを手放すことなんて出来ないというロイドの意志の元に特派全体はそれを受け入れたのだが、寄宿舎住まいだった者達は今回のスザク同様寄宿舎を追い出され、新しい住居を探して必死になっていたのは記憶に新しい。
 スザクも彼ら同様新しい住居を探さなければならないのだが、先日冤罪ながらもクロヴィス殺害の容疑者にされてしまったスザクにそう簡単に部屋を貸すとは思えない。交渉するにも探すにもとにかく時間が掛かるだろう。
 その間はどうするべきか。大学に移した特派の研究室に泊まってしまおうか。しかしそれだとロイドやセシルに心配を掛けてしまうことになる。最後の手段は野宿なのだが、この周辺に野宿が出来そうな場所は見当たらない。
「はあ……」
 無意識のうちに溜息が出た。
「あっれぇー、スザク君。溜息ついちゃってどうかした?」
「ロイドさん」
 誰かが来てしまっては迂闊に落ち込んでいられない。スザクをデヴァイサーにしたがゆえに軍の敷地から追い出されるという多大な迷惑を掛けているのだ。これ以上迷惑は掛けたくない。
 と思ったのだが。
「君が寄宿舎を追い出されるって話でも聞いた?」
「……え」
 ピンポイントで答えを突かれ落ち込みも何もかも全て吹っ飛んでしまった。多分相当間抜けな顔をしていたのだろう、スザクを見たロイドはおかしそうに笑った。
「やだなぁ、僕は一応君の上司なんだよ? 君に関することは全て僕にも伝えられるに決まってるじゃない」
 言われてみればそうだ。住む場所をどうしようか焦っていたせいなのか、今までそんな当然のことに欠片も気づかなかった。
「す、すみません」
「いいよいいよ。で、君これからどうするの?」
「住む場所を探すつもりですが、ちょっと時間が掛かると思います」
「その間どうするつもり?」
 その問いにスザクは顔を引き攣らせた。この人は間違いなくスザクの答えを予測した上で尋ねてきている。そして多分その予測はスザクが考えていたものとほぼ変わらないに違いない。だが言わないわけにもいかない。
 よし、と意を決してスザクは口を開いた。
「この研究室に寝泊りするか、野宿かな、と」
「駄目」
 コンマ〇.二秒での却下。酌量の余地なし。
「あのね君。そんなことして体調崩したらどうするの? 研究室だって人が住むために作られているわけじゃないんだから。野宿なんてもっての外。身体が丈夫だから平気とかいう言い訳はきーきーまーせーんー」
「ですが……」
 だってそれくらいしかスザクが取れる方法はないのだ。そう告げるとロイドは落胆したかのように肩を落とした。
「スザク君らしいと言えばらしいけど、それじゃ僕らの面子が立たないでしょう。何のための上司なんだか」
「すみません」
「謝って欲しいわけじゃないの。枢木准尉」
 “スザク君”ではなく“枢木准尉”と呼ばれたことよりに緊張の糸がピンと張った。階級で呼ぶということはこれからロイドが口にするのはスザクへの命令だ。
「今日から僕の家に住みなさい」
「はい……って、え?」
 条件反射的に頷いてしまったが、今ロイドはとんでもないことを言った気がする。
「ロイドさんの家に、ですか?」
「そう。あ、勿論お金取ったりしないから安心していいよ」
 部屋余ってるし、スザク君の管理も出来るし。あ、ちょっと掃除とかやってくれると嬉しいかなー。スザクの返事を聞く前にロイドは既に同居生活についての利点、要望を並べ挙げている。ちょっと待ってください、と言いかけたところに伸ばされた手のひらでもって制止をかけられた。
「これは命令だから拒否権はないよ」
 命令と言われてしまうとスザクには何も言えなくなる。特派研究室のトップはロイド。スザクはその部下だ。命令を違えることは出来ない。
「それに、『はい』って言ったよね? なんなら聞いてみる?」
 なにやらごそごそと白衣のポケットを探って取り出したものは手のひら大の――ヴォイスレコーダーだった。
「何でそんなもの持っているんですか!」
「だって『そんなこと言ってません』とか言って突っぱねられるかもしれないし。打てる手は全部打っておかないと」
 だからって録音までするか普通。これで言質まで取られてしまったことになる。どんどんと逃げ道がなくなっていくのが分かった。逃げてもどうしようもないことも分かってはいるが、全力で逃げたい気分だ。
「あら、二人とも何をしているんですか?」
 声のしたほうを見ると、紅茶とクッキーをトレイに乗せたセシルがこちらに歩いてきた。今スザクとロイドが向かい合っているテーブルにトレイを置き、紅茶をそれぞれに配り終えるとスザクの隣に座った。
「スザク君が寄宿舎を追い出されることになったから、僕の家においでって話しをしてたんだよ」
「あらよかったわねスザク君。行くところが早く見つかって」
 にっこりという音が似合いそうな笑顔つきで言われてしまっては、反論も悪あがきも出来やしない。
 ロイドの世話になるのが一番良いというのは分かる。だが、人の生活空間に足を踏み入れることに抵抗があるのだ。そのせいで素直に頷けない。自分がいたら迷惑になるのではないかとそんなことばかり考えてしまう。
 不意に暖かな感触が頭に触れた。セシルの手だ。
「スザク君がいてくれるなら、ロイドさんも極端な生活しないでしょうし」
「どういうことですか?」
「集中すると何も食べなかったり寝なかったりするのよ。だけどスザク君がいれば注意してもらえるし、大人としての自覚があるなら少しは改めるでしょうしね」
 最後の言葉はスザクではなくロイドに向けたものだ。その証拠にロイドはなんとも複雑そうな笑みを浮かべている。
「だから、ロイドさんが身体壊して病院送りにされる前に、どんな方法をとってもいいから生活を改善させてあげて」
 穏やかな笑みで母親が子どもに諭すような口調だが、言っていることは何気に酷い。この状態のセシルにはスザクは勿論特派内の誰一人だって何も言えない。
 納得させられただけではなく、住むことに対しての意義も与えられてしまった。これはもう頷くしかない。
「分かりました。お世話になります」
「はいはい。まったく君は手のかかる子だねぇ。子どもなんだから大人の言うことには素直に頷いておこうよ」
「反抗期なんです」
 思いもよらなかったカウンターに一瞬目を丸くしたあと、ロイドは声を上げて笑った。
「じゃあ僕がお父さんでセシル君がお母さんになるのかな」
 何気ない一言に、スザクは思わず言葉を失ってしまった。
 父と母。家族。スザクがなくしたもの。もう手に入ることはないと思っていたもの。
「……さーって、善は急げという言葉の通り、今からスザク君は引越しの準備をすること! 上司命令だからね。良い?」
「はい」
「ダンボールが必要ならいつでも言ってね」
「有難うございます。じゃあ行ってきます」
 軽く頭を下げスザクは足早に部屋を出て行った。走らないところが、彼らしい。
 ロイドとセシル、二人きりになってしまった部屋はやけに静かに感じられる。スザクがデヴァイサーになるまでは二人だけでも静かと感じなかったというのに。それほどまでに、スザクの存在は大きくなっているということだ。二人だけではなく、特派全体の中でも。
「ロイドさん。スザク君が何も言えなくなったから、わざと明るく言ったんでしょう」
「ばれた?」
「長い付き合いですから」
 この人にしては珍しいこともあるものだと感心と同時に驚いてしまった。
 ロイドの関心はランスロットかそれ以外かに分かれている。ゆえにスザクに構うのもランスロットのデヴァイサーだからかと最初は思っていたのだが、最近では“枢木スザク”という一個人に心を傾けているような気がするのだ。
「まあ、君にはばれるかなとは思っていたけどね」
「誰かに気を使うなんて、ロイドさんらしくないですね」
「まったくだよ。最近の僕は本当に僕らしくない」
 ロイドの性格を考えれば、自宅に他人を招きいれるという提案を持ち出した時点で既にらしくない。
「なんだかねぇ、あの子危なっかしいからつい手も口も出ちゃうんだよね。さっきから僕のことばっかり言ってるけど、君もそうでしょ?」
「えぇ」
 真っ直ぐで人を疑うことを知らなくて頑固で自分を曲げない。誰かの命はなんとしてでも守ろうとするくせに自分には無頓着。こんなに危なっかしい性質の人間は今まで見たことがない。
「直す気なんてさらさらなさそうだから、僕らが気をつけてあげなきゃね」
「なんだかロイドさん、本当に父親みたいです」
「それを言ったらセシル君も十分母親らしいよ。まったく、この歳で親の気分を味わうとは思いもしなかった」
 やれやれと溜息をつきつつも、嫌がっていないことは見れば分かる。案外この擬似家族のような雰囲気を一番楽しんでいるのはロイドなのかもしれない。勿論セシルも好きだ。母親のようだ言われるのも結構気に入っている。称されたからには、早速母親精神を発揮しようではないか。
「スザク君に注意されないような生活をしてくださいよ? 出来なかったら私も押しかけますから」
「全力で善処させていただきます」
 母が最強であるということは全世界いつの時代も共通事項である。





070129 --- Happy family planning


2007.03.13

星屑セレナーデの神埼梓さんから、クリスマス記念で出された問題を解いて
リクエストしたものを頂いてしまいました。
一体何度リクエストする気か!?と突っ込まれそうです。
でも・・・私は凄く幸せです。
神崎さん、またしても掲載を許可して頂いてありがとうございました!
そして折角許可して頂いたのに、遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
親子な特派の三人は何度読んでもほくほく温かい気持ちになります。
スザクはこれからロイドの破綻した生活改善の為に、右往左往しそうですね(笑)
セシルさんのお母さんっぷりも、もう本当に素敵です。
もう親子になっちゃえばいいよ・・・とか思ってしまいます。
神崎さん、いつもリクエストばかりしてすみません。
素敵な小説をありがとうございました。