真実のある場所

 「あら?」
 アヴァロンの艦橋に見慣れない、そして戦時下の軍艦にはまるで似つかわしくない物を見つけてセシルは首を傾げた。コンソールから少し離れた邪魔にならない場所に、細長い葉と一緒に何故か白とピンクの色紙をぶら下げた木が置かれている。緑は人を和ませる効果があるというし、極度の緊張状態にある中で緑を目にすることで緊張が解れ冷静な判断が出来るなら、こういう物が置いてあるものもいいものかもしれない。中華連邦や日本に生えているという竹・・・に似ているように見えるけれど、以前資料で見たものよりも細い気がする木をしみじみと見つめながら、セシルはゆっくりと考えた。
 セシルがこうしてゆっくりと考えられるのも、戦闘は膠着状態が続き、アヴァロンも今やブリタニア軍において象徴的存在となってしまった白の騎士、スザクの出撃も当面は無さそうだからだ。それでも、いつ状況が変化するとも分からず、緊張を解くことができる時間はない。細長い葉に触れながら、セシルはゆっくりと息を吸い、吐き出した。
 (冷静でいるつもりだったけれど・・・いつの間にか、凄く肩に力が入っていたんだわ)
 一時的なものかもしれなくても、一応の平和、そしてブリタニアとイレヴン──いや、日本との共存が実現する筈だった特区構想が、推進者であった筈のユーフェミア第三皇女の命による虐殺によって、最悪の状況に陥ってしまった。あの悪夢の日から、ブリタニア軍、セシルやロイド、そしてスザクを含めた特派の人間にも心が休まる時間など一時も無かった。──あの時、ユーフェミアの身に何が起きたのかは、今を持って分からない。暴走、暴挙、狂気に走ったか、果ては偽者だったのではなど、様々な憶測が流れたけれど、引き起こされたのが虐殺としか言い様がない地獄であることに変わりは無い。そして、当事者であるユーフェミアはその混乱の中、命を落とした。残されたのは、ただそれだけの事実だった。もはや弁明をする機会もない彼女が日本人にどんな風に呼ばれるかなど──生前の彼女を知る者には、辛く耳を塞がずにはいられない言葉ばかりが耳に響いた。
 (あの惨状だもの・・・仕方ない・・・のかもしれないけれど)
 セシルはユーフェミアのことを思い出す時、通信機を通してスザクに力強く告白した彼女の声を思い出してしまう。「私を好きになりなさい!」と告げた彼女の声は、真っ直ぐで温かいスザクへの愛情に溢れていた。元々の性格もあっただろうけれど、特区構想にスザクへの想いも関係なかったとはセシルには思えない。そんな彼女が突然下した虐殺指令。
 ──どうして。
 ──何故。
 日本人の幸せを、スザクの幸せを本気で願っていた彼女。疑問の声にも怨嗟の声にも彼女は応えてくれない。あの日から、ブリタニア人、特に名誉ブリタニア人は、整理しきれない思いを抱えたまま戦いに身を投じている。
 皮肉なことに、迷いそうになるブリタニア人の精神的な支えとなっているのは、枢木スザク名誉騎士候だ。形見となってしまった騎士の証を身に携え、純白の機体と共に戦うスザクの姿は、確かに強く美しく、正義の象徴のようにさえ映る。
 そんなスザクに出撃命令を出し、同胞である日本人と戦う後姿を見ていることが、セシルには日に日に辛くなっていた。
 (──スザク君も変わってしまった)
 あんなことがあったのだから、当たり前だと思う。変わらないでいて欲しい、と願うのは大人の我侭だ。スザクとユーフェミアの間に具体的などんな心の遣り取りがあったのか、唯一人ユーフェミアの最期を看取ったスザクがどんな言葉を今際の彼女と交わしたのか、セシルは知らない。誰にも聞くことなどできないだろう。セシルに分かるのは、スザクが戦いに、同胞である日本人と戦うこと──いや、殺すこと、だ──に迷わなくなったことだった。
 「笹って言うんだって」
 「え?」
 「今、君がくら〜い顔で睨んでいる木」
 ふいに掛けられた声に顔を上げたセシルは、そこに上司の姿を認めた。茶化すような口調とは裏腹に、眼鏡の奥の瞳は自分の様子をしっかりと観察している。そんなロイドの態度と言葉に、セシルの顔に苦笑が浮かぶ。そんなに思いつめた顔で見つめていたのだろうか。人のことなんてどうでも良さそうな態度をとるこの上司にさえ気を使われる、そんなことも最近は増えている。
 「君は何色にする?」
 セシルの思いなど頓着せずに、ロイドが色とりどりの細長い紙を扇形に広げた。赤、ピンク、黄、橙、青、水色、緑、紫、白、金、銀・・・目の前に広がる色紙に戸惑ってセシルは首を傾げた。
 「あの、これは何ですか?」
 「ん?、短冊だよ・・・あれ?聞いてない?」
 「何のことですか?」
 何か新しい指示でも出ていたのだろうか。幾ら何でもそんなに呆としていたつもりはなかったけれど──セシルの表情が仕事モードに変わったのに気付いたのか、ロイドは違う違う、と色紙を振って否定した。
 「もしかして七夕のこと知らない?日本の行事で、七夕の夜にだけ織姫と彦星っていう男女が天の川を渡って出会うことが出来るんだって」
 だから雨が降って天の川の水かさが増したら、渡れなくなって会えないんだって。あ、でもその時は鳥が橋になってくれるらしいけど。鳥がどうやって橋になるんだろうねぇ。
 得意そうに話すロイドの説明を聞いても、セシルには目の前の色紙の意味が分からない。天の川は恒星の集団のことだから、ロイドが話しているのは恐らく神話か民話といった類のものだろうけれど。
 「七夕自体は中華連邦にも残っている話らしいけど、日本では七夕まで願い事を短冊に書いて笹に飾るんだって」
 「その短冊が・・・この色紙なんですね?」
 「そう!」
 どうして願い事を書くのかよく分からないけれど、楽しそうな行事ではある。きっと、子ども達は喜んで願い事を書いていたのただろう。明るい未来を信じて。
 「本当は五色らしいけど、色は沢山あった方が楽しいからね〜。さ、選んで選んで」
 短冊を差し出すロイドは楽しそうに笑っている。けれど、そのロイドにも疲労の色が見える。ロイドは他の人達よりも、さすがに上手く隠しているけれど。
 今、自分が願うことは何だろうか?もう無邪気に平和な日々を願うことなど出来ない。短冊を受け取ったとしても、何を書けるだろうか?躊躇いを覚えつつも、セシルはゆっくりと手を伸ばして水色の短冊を手に取った。目の前にいる人の瞳の色だから選んだというのは内緒だ。
 「この笹や短冊って、ロイドさんが用意したんですか?」
 「・・・・・・」
 短冊を受け取ったものの書くことが思いつかなくて、間を誤魔化すように問うたセシルに、ロイドは複雑な笑みを浮かべた。
 「・・・ロイドさん?」
 「ユーフェミア皇女殿下だよ」
 「──え?」
 「ユーフェミア皇女殿下から、特派宛に笹と短冊が昨日届いたんだよ。──生前に手配していたみたいだね」
 「──・・・!!」
 声が、詰まった。
 ロイドの顔を見ていられず、セシルは俯いて手の中の水色の短冊を見つめた。
 (スザクのこと、大好きです)
 一度二人きりになった時に女同士ということもあって、こっそり尋ねたセシルに、恥ずかしそうに頬を染めながら、幸せ一杯の笑顔で話していたユーフェミア。
 そんなユーフェミアとスザクに訪れる筈だった未来──。
 この短冊にも二人が願い事を書いて、それをロイドさんがからかって。そんな三人を笑いながら私は見つめて、あんまりロイドさんがからかっていたら叱って。それから、ささやかな願い事を短冊に書いて、皆で笹に飾っていたのだろう。
 (──どうして・・・)
 この笹と短冊を用意しながら彼女が想い描いた未来は、訪れなかった。どんな憶測よりも確かな彼女の想いの証のように、笹と短冊だけがこの場にある。
 「あ〜・・・泣かせたい、訳じゃなかったんだけどなぁ〜」
 ぼやきながら、自分の頭を引き寄せて幼子をあやす様に触れるロイドの手に、セシルの涙は零れた。
 「すみ・・・ませ、ん。でも、あの・・・」
 「いいよ。・・・でも、僕らは短冊を飾ろうね」
 「・・・はい」
 願い事を書けなかった彼らの代わりに。声にならないロイドの言葉を聞いた気がした。


 ──笹に飾られたピンクと白の短冊には、何も書かれていなかった。


End

2007.07.07

久しぶりにコードギアスのDVDを見直したら、
やっぱりユーフェミアが大好きでした。
明るい七夕話にしようとしたんですが、気付いたら明るくなりませんでした。
23話後で明るくしようというのが、そもそも無理だったんですが・・・。
そして、どうしても23話後のスザクが書けない結果、
出張ったロイドが甘いっ・・・。
たぶん今までで一番甘くて、一番ロイセシ風味な気がします。
広島は雨はないものの、曇っていて天の川は全く見られません。残念。