その日、スザクの朝の挨拶はいつもに比べて一拍遅かった。訝しく思いながらも、シュナイゼルも挨拶を返したが、更にその後無言で自分の顔を短くは無い時間見つめられるに至って、これは何かがあると確信した。だが、それからシュナイゼルが手を変え品を変えしてスザクにさり気無く問い質しても、スザクは何も無いです、と言うばかりだった。一向に頷く様子はなく、最初こそスザクの様子に不自然さを感じたシュナイゼルだったが、その後スザクの様子からは特別な問題があるようには見えなかった。スザクの頑固さはいつものことではあったし、元気が無いという訳でもない。結局、何かあるのかもしれなかったが、大きな問題では無さそうだと結論付けた。何より、この日シュナイゼルは旧新宿地区にて造成中の租界の視察を控えており、あまり時間を取れなかった。多少気にはなったが、シュナイゼルはそれ以上スザクから聞き出さなかった。
スザクがこの日の朝、いつもと様子が違っていた理由を、シュナイゼルは造成中の新宿租界へ向かう車中にて知ることになった。
「・・・だからって、何で僕なんですか〜?」
「おまえしか頼める相手がいないのだよ、ロイド」
「貴方にそんな下手に出られたら、余計に怖いし、気持ち悪い〜」
「・・・・・・・・・」
下手に出て言ってみれば、この態度だ。仮にも自国の皇子に対する発言であることをロイドは分かっているのだろうか?最も、シュナイゼルが一度でもそんな態度を示せば、この友人があっさり自分から離れていくことを彼は知っている。だからと言って気持ちが悪いとまで言われては、さすがにシュナイゼルも良い気はしない。
それでも反論しないのは、相手がロイドであることと、シュナイゼル自身、似合わないことを承知しているからだ。ロイドがそう言うならば、とシュナイゼルはあっさり態度を覆した。
「タイムリミットは今日の午後16時だ。それ以上は待たない」
「ち、ちょっと。さっきまでの態度はどこに行ったの!?」
「おまえが言ったのだろう、私が下手に出ては気持ちが悪いと」
これは地味に復讐されているのだろうか、とロイドは思う。日本──今はイレヴンと呼ばれているのだったか──に行ってから、どうもこの友人から電話が掛かってくると碌なことがない。
(愚痴はまだしも、単なる惚気も最近は増えているし)
シュナイゼル自身にその意識が無さそうなのが、また厄介だった。そういう事態が続いていた中での今日の電話だ。
「確かに言いましたけどね。・・・あ〜それで。何でしたっけ?ホワイトデー?」
「そうだ」
日本では、バレンタインデーは女性からチョコレートを贈る日で、一ヵ月後は何故かホワイトデーと呼ばれチョコレートを貰った男性が女性にお返しをする日なのだという。そんなことを知ったとて、ロイドにとってはどうでもいい異国の行事だ。せいぜい貰った物に対して一ヶ月も経ってからわざわざお返しをしなければならないなんて、受け取るのも面倒だと思う程度だ。
「貴方も貰ったってことですか?ええと、そのチョコレートを?」
貴方にチョコレートを贈るなんて、そんな勇気というか命知らずな女性も居るんですね〜とロイドが呟くと、電話口でシュナイゼルは何故か押し黙った。
どうも、シュナイゼルの様子が不自然だ、とロイドは漸く気付いた。そもそも、偶々新宿租界へ行く途中、ホワイトデーの幟を見つけその意味を知ったからと言って、シュナイゼルが素直にお返しの品を贈ろうなどと考えるだろうか?そうしなければならない身分、立場の相手であったとしても、無難に個人的な配下の物に任せただろう。貴人が礼状でも代筆で済ませるのは常識だ。勿論、それはシュナイゼルがブリタニアの皇族であるという絶対的な地位にいるからこそ、だが。
はっきり言ってシュナイゼル自らがそこまで気を使わねばならない相手など、世界でも限られる。今彼がいる場所にそんな人間がいる筈もない。ならば、シュナイゼルがこうして自分にわざわざ視察の合間に電話を掛け「ホワイトデーには何を贈るべきか調べてくれないか?」などと頼んできたのは、彼の個人的な思い入れ故だ。
そこまでを数秒で考えたロイドは、はてそんな相手は?と考えて・・・一人だけ思い当たる人物を見つけた。そもそも最近シュナイゼルから掛かってきた電話は、全てその人物絡みだった。
「あの〜もしかして、例の貴方のお気に入りの子から貰った、とか?」
「・・・・・・・・・・・・そうだ」
暫しの沈黙の後、肯定が返ってくる。ロイドは頭を抱えたくなった。彼が子ども一人に此れ程振り回されているなんて、少し前なら考えられないことだ。今でも信じがたい。けれど、最初は、遠くブリタニア本国でそれを面白がっているだけで済んでいたのに、最近はそれに自分も巻き込まれているのだ。今も結局、自分は断れそうも無い。
(まあ、本気で困っているみたいだし。だからって彼の騎士にも聞けないだろうし)
主にそんなことを聞かれては、騎士も自分の立場を嘆いてしまうかもしれなかった。
「あと・・・そうですねぇ二分待てますか?」
「大丈夫だ」
幸い、インターネットで調べれば「マシュマロ」という答えは直ぐに見つかった。しかし、マシュマロという文字を見た瞬間、ロイドは机を叩いて爆笑した。
(あ、あの人とマシュマロ。・・・似合わない〜!)
キャンディーという答えや、その他の贈り物も紹介されていたが、そんなことは教えてやらない。ロイドは震える声で「マシュマロだそうですよ」と伝えた。
明らかに笑いを堪えたロイドの声に不審を抱いたのか、シュナイゼルは「本当だろうな・・・?」と聞いていたが、残念ながらその時点でタイムアウトとなった。
ロイドとの電話を終えたシュナイゼルは、懸命に時間を作ろうとしたが、残念ながらマシュマロを買いに行くことは出来なかった。例え時間ができたとしても、果たしてシュナイゼルが買いに行くことができたかというと、難しかっただろう。菓子屋やデパートの近くを通り過ぎる度に、珍しく目を留めているシュナイゼルに傍に控える騎士に「如何なさいましたか」と問われるにようになってからは、シュナイゼルはマシュマロを買いに行くことは諦めた。人に頼めればよかったのだが、まさか言える筈も無い。「マシュマロを買って来てくれないか」と。
マシュマロを作るのにどの位の時間が掛かるのか見当も付かなかったが、帰ってからシェフに直接製作を依頼するしかない。そう決めてからのシュナイゼルは、なるべく早く帰られるように懸命に視察をこなした。
それでも、最悪の場合は十四日には間に合わないかもしれない、と覚悟していただけに、シェフに会った時、シュナイゼルは酷く感心した。
シュナイゼルがこっそりとシェフに会いに行った時、スザクにチョコレートの作り方を教えた彼は、既にマシュマロを用意して待っていた。真白なマシュマロ、それも犬の形と鷹の形をしたマシュマロを数個見せられたシュナイゼルは、暫し黙ってそのふらふわの甘い菓子を見つめた。
「あの・・・鷲の方がよろしかったでしょか?」
「いや、鷹で良い・・・。──ありがとう」
シュナイゼルの言葉に、シェフはほっと安堵の息を吐いた。黙り込むシュナイゼルの様子を見て、差し出がましい真似をしたかと思ったのだ。けれど、その彼の不安は杞憂に終わった。ブリタニア皇族から直接礼を述べられる栄誉を受けた者などそうはいないだろう。
シュナイゼルはマシュマロを丁寧に包装させると、スザクの元へと向かった。
「お帰りなさい、シュナイゼル殿下」
「・・・ただいま、スザク」
スザクと共に生活するようになってから随分慣れたが、それでもやはり「お帰りなさい」という言葉にシュナイゼルはいつも戸惑う。けれど、今日は早くスザクにマシュマロを渡したいと思っていたからか、少しだけスムーズに「ただいま」を言えた気がした。スザクもそのことに気付いたのか、直ぐに笑顔を浮かべた。
「スザク。今朝は私に何か言いたかったのではないかな」
「え・・・いえ。何も無いです」
一瞬詰まったものの、さすがに直ぐには認めない。シュナイゼルが腰を折り曲げて笑みを浮かべた顔を近づけると、スザクは顔を赤くしてシドロモドロになった。
「あの・・・言いたいこと、というか・・・今日は・・・その」
けれど、それ以上は言えずに下を向いてしまった。別に聞いても良さそうだが、とシュナイゼルは思ったが、そこでバレンタインデーのことを思い出した。シュナイゼルはスザクが手作りしたチョコレートを食べて、腹を壊し三日間休んだのだ。それを考えると、お返しのホワイトデーのことなど聞けなかったのかもしれない。
その点について、シュナイゼルは気にする必要は無いと思っているが(そもそも手作りを要求したのはシュナイゼルだ)、作った当事者はそうはいかないのだろう。もっと問い詰めても良かったが、これではスザクはいつまで経っても言わないだろう。
「おまえが何を気にしているのか、分かっているつもりだが・・・それについては気にする必要はない」
何と返事をするべきか迷ったのか、スザクは無言でシュナイゼルを見上げるばかりだ。その様子にシュナイゼルは微かに苦笑を浮かべた。
「手を出しなさい」
「はい」
素直に出されたスザクの手に、先程のマシュマロが入った箱を載せた。ふわふわした包装紙に包まれた箱の正体に直ぐに気付いたスザクの瞳がみるみる大きくなる。
「これ・・・もしかして」
「バレンタインデーのお返しだよ。今日は、ホワイトデーというのだろう?」
「はいっ。ありがとうございます」
嬉しそうに箱を持ち上げて下から覗いたり、横から見たりするスザクの姿にシュナイゼルは声を上げて笑った。
「いつまでそうして観察しているつもりだ?」
「あ、そうですね。開けてもいいですか?」
「もうそれはおまえの物だ。私に聞く必要などないよ」
それじゃあ・・・とスザクはリボンを解き、ふわふわとした包みを開いて中の箱を取り出した。そうして中身を見るのを惜しむように、ゆっくりと蓋を開けた。
「うわ・・・」
中のマシュマロの形にスザクは驚いた。普通のただの固まりのマシュマロなら、何度も見たことがある。けれど、これは・・・
「犬と鳥・・・?」
「鷹だそうだ」
首を傾げたスザクにシュナイゼルが直ぐに答えを返す。それを聞いたスザクは嬉しそうに「殿下ですね」と言った。
「私?」
「そうです。それで・・・こっちは犬だから・・・あれ?」
「なら、そちらの犬はおまえだな、スザク。まだ小さいから子犬だ」
「じゃあ、これは殿下と僕ですね」
「・・・・・・そうだな」
少し照れくさそうに言ったスザクに、シュナイゼルは手を伸ばしかけて──やめた。
「食べたらどうだ」
「はい」
頷いて、どちらを食べるか逡巡した後、スザクは白い鷹のマシュマロを手にした。いただきます、と言って口に放り込んだスザクの表情が途端に綻んだ。
「おいしいです」
「そうか。良かったな」
もぐもぐと口を動かして飲み込むと、今度は子犬のマシュマロをスザクは手にした。そしてそれをシュナイゼルに差し出した。
「スザク?」
「僕は殿下の鷹を貰いましたから。こっちの子犬・・・僕は殿下に差し上げます」
「・・・・・・・・・・・・」
「殿下?」
絶句したシュナイゼルを、不思議そうにスザクは見上げた。こほん、と一つ咳払いをして、シュナイゼルは頂こうと呟いた。
「はい、どうぞ」
「・・・・・・ありがとう」
「おいしいですよ」
「そう、だな」
こんな会話をロイドに聞かれなくて良かったとシュナイゼルは心底思った。
End