「日本のバレンタインデーは、ブリタニアとは違うそうだな」
「はい?あの、何のお話でしょうか?」
帰宅して挨拶を交わすなり出てきたシュナイゼルの言葉に、スザクは戸惑った声を出した。何を言い出したのだろう?この人は。
戸惑うスザクの様子を見て、シュナイゼルは微笑みを浮かべた。スザクは何となく嫌な予感を感じて、一歩身体を引いた。そんなスザクを見てますますシュナイゼルは笑みを深くして、中途半端に差し出されていたハンガーを受け取った。
「義理チョコというものがあると聞いたぞ」
「・・・・・・ありますよ」
見下ろすシュナイゼルの表情からは、もう不吉なものしか感じられず、スザクの口調は自然と警戒を滲ませたものへと変わっていく。
「普段世話になっている目上の人間に渡すそうだな」
「・・・・・・・・・そうです」
もはや隠そうともしないシュナイゼルの表情は、すっかり人の悪い笑みだ。
「感謝をチョコレートに込めて贈る。素晴らしい風習だな。・・・スザク」
「・・・・・・・・・・・・そうですか?」
この先は聞かない方がいい、という内心の警告を気にしながらも、問われれば答えてしまうスザクである。
「楽しみにしているぞ」
「はい?あの・・・・・・何をですか?」
にこにこと笑みを浮かべて見下ろすシュナイゼルは幼いスザクの目から見ても美しかったが、その華麗な容貌に騙されてはいけないことを数ヶ月間生活を共にする中でしっかりと学習している。
「チョコレートだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・まさか、僕がシュナイゼル殿下に、ですか?」
「他に誰がいる?」
そして、スザクがどんなに警戒してもシュナイゼルが決めたことを翻意させられないことも、スザクはよく知っていた。それでも抵抗したいと思うのは、無駄ではない筈だ・・・たぶん、とスザクは思う。
「あの日本のバレンタインデーは、女性が男性に贈る日なんです」
「ブリタニアでは男女関係ないな。寧ろどちらかと言えば、男性から贈る方が一般的だ」
第一の抵抗はあっさりと、突破されてしまう。
「ええと、僕は外にチョコレートを買いに行くことはできないですから」
「その点は抜かりない。材料はこちらで用意させる」
「・・・・・・材料?」
第二の抵抗は突破されたどころか、更に恐ろしい言葉を聞いた気がする。
「そうだな、ベルギー産の板チョコを用意させよう」
「あの・・・まさかとは思いますが、僕に手作りしろと仰っていますか?」
「当然だろう?」
当たり前のように頷かないで欲しい。一体何が当然だと言うのだろうか?そういうものだっただろうか?と考えて、この人に騙されては駄目だ、とスザクは思い直す。
「無理ですよ。僕はチョコレートを作ったことなんてありません」
「シェフなら優秀な人間を本国から連れてきている。しっかり習うといい」
子どものお菓子作りに皇子付きのシェフを使っていい筈がない。そのことをスザクが訴えても、シュナイゼルに「私の為にいるシェフたちだ。私が望むことを叶えるのは彼らの職責だ」と返されてしまう。そういうのを”へ理屈”というのだとスザクは気付かず「何か違うような」と思いつつ、言い返せなくなってしまった。
「折角良いチョコレートを取り寄せるなら、そのまま食べる方が良いと思います」
「それでは、おまえから贈られたチョコレートではないだろう?それでは意味がないな」
「・・・そうですね」
明白な正論だったので、スザクも頷かざるを得なかった。そんなスザクを見てシュナイゼルが瞳を伏せて、スザクを見つめた。
「スザクは、それほど私にチョコレートを贈りたくないのか?」
「え?」
「おまえが私になどチョコレートを贈りたくない、贈るに値しないと考えているのであれば仕方がない。無理強いするようなものではない、諦めよう」
「で、殿下?あの・・・」
寂しそうな表情を浮かべたシュナイゼルに、スザクは戸惑った。
「私に贈りたくなどないんだろう?」
「そんなことはありません。僕は・・・僕は、殿下にはとてもお世話になっていると思っています」
ぶんぶんと勢いよく首を左右に振って、スザクはシュナイゼルの言葉を否定した。
「そうか・・・それなら、私にチョコレートを贈ってくれるな?」
「勿論です!──・・・あ」
先ほどの寂しげな表情はどこへやら、スザクの言葉を聞いた途端にシュナイゼルは実に楽しそうに人の悪い笑みを浮かべた。
「殿下」
「楽しみにしているぞ、スザク」
「・・・・・・・・・僕が買いに行くという訳には行かないのですか?」
「私はスザクが自らの手で作ったものしか受け取るつもりはない。手作りしてこそ、相手に思いが伝わるというものだろう?」
「・・・・・・分かりました。でも味は保証しませんからね」
騙された気がしてならなかったけれど、約束してしまった以上は仕方がない。諦めてスザクはチョコレート作りへの挑戦を決意した。
「ああ。楽しみにしているよ」
さっきまで意地悪な顔をしていたのに、そんな言葉と一緒に本当に嬉しそうな表情を見せるのはずるいとスザクは思う。
「はい、シュナイゼル殿下。楽しみにしていてください」
素直に頷いて、頑張ろうなんて思ってしまう。
「それでは夕食にしよう」
夕食を運んできた給仕の人間に、シュナイゼルはチョコレートの作り方をスザクに教えるようにシェフへの伝言を告げたのだった。
「私も先の見通しがまだまだ甘かったようだ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
白いシーツを握り締めて、謝罪を繰り返すスザクの瞳からは今にも雫が零れ落ちそうになっていた。
「一生懸命作ってくれたのだろう?」
「そうですけど・・・まさか殿下がお腹を壊してしまうなんて・・・本当にごめんなさい」
スザクの言葉にシュナイゼルは苦笑を浮かべた。シュナイゼルにとっても、まさかチョコレートで腹痛になるなど、全くの予想外だった。
テーブルに置かれた紫と白のリボンで飾られた箱を見つめた。シュナイゼルが食べられなかった分は既に全て捨てられていて、今は何も入っていない。食べられないと分かっていながら、それを残念に思う自分の感情にシュナイゼルは苦笑いを浮かべた。
(本当に私は甘い)
けれど、その甘さが不愉快ではなかったりすから、困ってしまうのだ。
「ならば気にするな。スザクが悪い訳ではない」
「でもっ・・・」
「シェフという者たちは、偉大だと思わないか?」
「え?あ・・・はい。思います」
突然変わった話にきょとんとしつつ、自分のチョコレートの出来にしみじみと実感していたことだったので、スザクはこくん、と首を縦にして頷いた。
「あの者達は何年も修行し、料理人としての資格を得る。資格を得てからも研鑽の日々は続いている。そのシェフ達に一朝一夕で追いつける筈がない」
「はい」
「だから気にしなくて良い」
「それは・・・そうですけど。でも、やっぱりシュナイゼル殿下が痛い思いをしているのは、僕のせいです」
素直だが強情な子どもだ。ここまではシュナイゼルの予想通りの反応を返している。
「どうしても自分を許せないというなら・・・来年もチョコレートを贈ってくれないか?」
「来年もですか?」
言葉にしなくても、こんなに苦しい思いをしているのに?とスザクが不思議に思っていることが表情から読み取れる。
「そうだ。来年こそ食べられるチョコレートを。出来るか?スザク」
「──はい!来年こそおいしいチョコレートを作ってみせます」
「よし」
ふわふわの茶色い髪に指を差し入れ、わしゃわしゃと掻き回すとスザクは声を上げて笑った。
「さて、そろそろ医師が来たようだ。呼んできてくれるか?」
「はい」
すっかり元気になった声でぱたぱたと駆け出して行く。その姿を見送り、背中が完全に見えなくなってから、シュナイゼルは身体を折った。
「ぐ・・・っ」
シュナイゼルの顔からはスザクがいた時に浮かべていた笑顔は消え去り、代わりに苦悶の色が濃く浮かび、額には脂汗が滲んだ。
やってきた医師はシュナイゼルを診察するなり、相手が皇族であることも忘れて思わず叱りつけた。
「痩せ我慢が過ぎます!」
珍しく何も反論できず、シュナイゼルは医師の指示通り、三日間をベッドで過ごす羽目になった。
けれど、その枕元には、紫と白のリボンで飾られた箱が大切そうに置かれていた。
End