もうそろそろ夕暮れ時で、だからルルーシュは少し油断していた。そこへもう来ないだろうと思っていた少年が三日連続で現れた瞬間、追い返そうと口を開いた。
「またおまえはっ・・・──どうしたんだ?それ・・・」
しかし、追い返そうとしたルルーシュは、少年の顔を見て怒りを一瞬忘れてしまった。
「・・・・・・殴られた」
「・・・誰に?」
「・・・・・・母さんに」
「・・・母さん?」
ルルーシュは少年の返答に首を傾げた。母親とは、息子の顔を原形が殆ど分からなくなるほど、殴るものだろうか。二日連続で目の前の少年に殴られた自分などより、少年の頬は大きく腫れ上がっていた。
「・・・・・・謝りに行って・・・また喧嘩して君を殴ったって言ったら・・・」
殴られたという訳か。それにしても凄まじい殴られっぷりだ。腫れ上がった頬では喋りづらいのだろう、昨日よりも少年の声はくぐもって聞こえた。
「で。おまえは今日は何をしにきたんだ」
「・・・謝りにきたに決まってるだろ」
「・・・・・・」
謝っている態度じゃない、という言葉を飲み込んで、ルルーシュは少年を黙って見つめた。その言葉を言えば、昨日と同じように喧嘩になるのは目に見えていた。さすがに三日連続で殴られるのは遠慮したかった。
少年ももう喧嘩をしようとは思っていないのだろう(あんなに顔を腫らせていれば当然だ)、無言でルルーシュを見つめるばかりで、悪態をつこうとはしなかった。少しだけだが昨日よりは肩を落として反省しているように見える・・・気もした。
「とにかく、殴って悪かった・・・ごめん」
「・・・・・・」
どう対応するべきか迷って、ルルーシュはまた黙り込んだ。少年の昨日までの態度を思い出すと、また腹立たしくなるが、自分以上に顔を腫れあがらせている少年を見ると、殴る気にもなれない。かと言って素直に許す気になるには、最初の印象が悪すぎた。ここで謝罪を受け入れずに罵声を浴びせれば、また喧嘩になるのも目に見えている。結果としてルルーシュは反応に困ってしまった。
「それで・・・・・・これ・・・」
ルルーシュの反応には頓着せずに、少年は後ろ手に持っていたものを差し出した。この場から早く立ち去りたいのが見え見えの態度だった。
「・・・・・・何だこれは・・・・・・」
ルルーシュも少年に早くこの場を立ち去って欲しかった。だから、穏やかに対応して済ませてしまおうと考えていた。だが、差し出された物を目にした瞬間、ルルーシュのこめかみは引き攣った。
「見て分からないのか?花束に決まってるだろ?」
馬鹿にするでもなく、分からないの?と不思議そうに首を傾げられて却ってルルーシュはカチンとした。
「分からない筈があるか!俺が言っているのは、男の俺になんで花束なんて持ってきたのかだ!」
怒鳴ったルルーシュを唖然と見つめた後、少年は顔を真っ赤にして怒鳴り返した。
「なんでおまえに花束なんて渡さなきゃならないんだっ。あの女の子に持ってきたに決まってるだろ」
「・・・女の子?・・・っておまえナナリーをどうするつもりだっ」
「どうもしないよっ。謝りたいだけだっ」
「嘘をつけ」
「嘘じゃない」
ギリギリと音がしそうな視線で、お互いに睨み合う少年二人は、昨日に引き続いて目的を忘れかけていた。
「良い匂いですね」
奥から掛けられた声にはっと少年二人は振り返った。二人より更に幼い少女が車椅子に座っていた。
「ナナリー、出てきちゃ駄目だって」
「でも、お兄様。私に花束を持ってきてくださったのでしょう?」
その言葉にはっとして、少年は持っていた花束を差し出した。空気が動いて、花の香りが漂った。
鮮やかな黄色いラッパ型の花は華やかで綺麗だった。
「あの・・・これ・・・怖い思いをさせて、ごめん、ね」
ハラハラと見守るルルーシュを他所に、意外にも花束は穏やかに少年からナナリーへと渡された。
「ありがとうございます。良い、香りですね」
「うん・・・黄菅って言って、ユリ科の黄色い花なんだ。夕菅とも言うんだけど・・・」
「ユウスゲ?」
「夕方に咲いて、翌朝にはしぼんでしまう花なんだ。だから夕菅。・・・この周りの山にも生えているよ」
和やかに交わされる会話に、ルルーシュは目を瞠って見守っていた。そして少年が夕方になってやってきた理由に気付いた。
──この花の為に、少年は夕方になって現れたのだ。蕾を開いたこの花を渡すために。
「もしかして・・・探してくださったのですか?」
「うん・・・。香りが強いから、直ぐに見つかったよ」
嘘だ。少年の言葉を聞いて、ルルーシュは直ぐに思った。今まで見ようともしていなかった少年の手は、擦り傷や切り傷で一杯だった。山の中で探していて、傷ついたのだろう。
そして、少年の言葉からルルーシュはもう一つ気付いたことがあった。
(香りが強いから見つけやすかったんじゃない。香りが強い花だから探したんだ)
目が見えないナナリーは、花の姿かたちの美しさを楽しむことは出来ない。けれど、目が見えない分、視覚以外の感覚は鋭敏になっていた。聴覚や触覚、そして・・・嗅覚。
「ありがとう・・・ございます」
花の香りを味わって、ナナリーは小さく微笑んだ。それは、ルルーシュが久しぶりに見るナナリーの笑顔だった。リボンの一つも付けられていない花束を微笑んだままナナリーは抱きしめた。
「もう、いいだろ・・・」
ナナリーの礼の言葉に嬉しそうに笑う少年を見ていると、腹が立って仕方が無かった。
「もう、ナナリーに花束は渡したんだから、さっさと帰れよ」
腹立たしさと悔しさと、どんな形であれナナリーが笑顔を見せた嬉しさと・・・様々な感情を整理しきれないまま、ルルーシュはその感情を目の前の少年にぶつけた。
ルルーシュの言葉に、少年は瞬時にムッとした表情を浮かべたものの、それ以上文句を言おうとはしなかった。
「それじゃ・・・俺は帰るよ」
「あ、あの待ってください。お名前を教えてください」
ナナリーはルルーシュから少年の名前を聞いて知っている筈だった。それなのに・・・。ナナリーは少年自身から聞きたいと思ったのか。ルルーシュは奥歯を噛締めた。
「スザクだよ。枢木スザク。君は?」
「ナナリーです」
ナナリー。味わうように呟いて、少年──スザクは晴れやかな笑みを浮かべた。
「可愛い名前だね。似合ってる」
「ありがとうございます」
ナナリーと笑顔を交し合う少年が憎い。殴られた二日間よりも、ルルーシュはスザクに対して怒りを募らせた。だから、促すようにスザクが自分を見ても、ナナリーが自分を見つめても、ルルーシュは口を開こうとはしなかった。
小さく息をついて、スザクはルルーシュから視線を逸らした。
「それじゃあ、僕はこれで。──またね、ナナリー」
「はい。スザクさん」
手を振ってあっという間に去っていく少年が、ルルーシュは憎くて堪らなかった。
End