軍人である以上、ましてブリタニア帝国との戦争が始まってからは、毎日のように人の死を見つめていた。紅い血が流れ、命が失われていく姿など数え切れない程見てきた。
そんな私が、あの日畳を障子を染めた紅に慄いた。
軍人である私には一目で助からないと分かってしまった──その瞬間、私ははっきりと日本の敗北を悟った。首相の死により日本が選ぶであろう道を悟ってしまった。
畳に横臥した枢木首相の身体には深々と短刀が刺さり、傷口からはまだ血が流れ続けていた。
死に逝く間際の父の姿を見つめるスザクの震える小さな掌にはべっとりと父の血が付着し、返り血が頬や服を紅く染めていた。
首相の唇が微かに震えるのを確認し、耳を寄せた。そして、枢木首相の最期の言葉を私は聞いた。
枢木首相は息を引き取り、スザクは父殺しの罪人となった。
「なんということだ──」
異変に気付いた他の人間が騒ぐ声を一部で冷静に捉えながら、どこか遠くに感じていた。
両腕で抱きしめた温もりの止まない震えが、悲しく残酷に目の前の光景が現実であると私に突きつけ続けていた。
あの頃、日本政府の意見は分かれていた。
枢木首相や軍を中心とする徹底抗戦を唱える者たちとブリタニアのナイトメアフレームを中心とする軍事力と日本の軍事力の圧倒的な違いから、出来るだけ早く有利に休戦を申し出るべきとする者たち。
休戦、などというものをブリタニアが受け入れる筈がなく、それは実質の降伏を意味する。
それまでも長く議論を続けていた筈だが、枢木首相の死によってバランスが崩れたことは間違いなかった。個人的に首相と関わりがあったとしても、一軍人でしかない私にその過程を知る術も権利もない。ただ、そうであろうと推測するだけだ。
どのような方針、決定を聞かされても、私に出来ることはその後の指示に従うことのみだった。枢木首相の死を自決とするとした政府等の方針や決定がなされるまでの過程を考えても、益も意味もあることではなかった。
その死によって軍を諌め、これ以上の日本人の犠牲者を増やさない英断を下したとする。
殆どの軍人に冷笑を持って迎えられるであろう発表を、私も諾と受け取るしかなかった。
ただ、その罪を隠されてしまったスザクだけが気懸かりだった。
スザクに最後に会ったのは、日本が降伏を宣言し、志を同じくする者と共に一時的に身を隠す直前だった。
半ば幽閉状態に置かれていたスザクへの面会が叶ったのは、私がスザクを殆ど生まれた頃から知っていたことと、何より「枢木首相自決」の第一発見者だったからだろう。
障子越しの弱々しい光しか届かない部屋は、十歳の子どもが寝起きするにはとても向いているとは思えない場所だった。
格子こそないものの、その部屋はスザクに与えられた座敷牢に他ならなかった。
「お久しぶりです、藤堂さん」
正座で私を待っていたスザクは、私の予想に反してとても静かだった。話したいことは沢山あった。けれど、残念ながら私には圧倒的に時間が無かった。ここを訪れることも、周囲の反対を押し切ってのことだった。
「──枢木首相のことは」
「聞いています」
短い返答に、スザクが全てを知っているのだと悟った。大人達が何をしたのか、そしてその為に自分が永遠に口を噤み、己の中に罪を隠し生きねばならないことを。
贖罪さえ、スザクには許されない。
スザクに罪は無いとは言えない。だからと言って、誰がスザクを断罪できるのか──。私を含め、スザクの罪を隠した者たちにそれはできない。
「身体に、気をつけなさい。日々の鍛錬を欠かさないように」
「──はい」
静かだったスザクの表情が初めて歪んだ。内から溢れようとする感情を、懸命に堪えているようだった。
まだ稽古場を同じくしていた頃にスザクに掛けていた言葉だった。だが、それもこれが最期になるのだろう。
「藤堂さんも、お元気で」
スザクの言葉を合図に、部屋を辞した。
私がスザクに対して出来ることなど何もなかった。それでも、この訪問を無意味とは思わなかった。それはスザクにとってではなく、私にとって必要なことだった。
私がするべきは、剣を取り立ち上がること──日本を解放するために。
その後、スザクがどのように過ごしたのか、詳細は知らない。枢木本家から、名誉ブリタニア人になりブリタニア軍に入ろうとしたスザクの説得を頼まれた際に、幾らか話を聞いただけに過ぎない。
それでも──スザクが考え抜いた末に決めであろう生き方を、誰に何を言われても、どんな謗りを受けても変えないだろうことは分かっていた。
贖罪を許されなかったスザクが選んだ道がそれならば、誰にも翻意させることなど出来る筈も無かった。
私は枢木本家の要請に応じることはなく。
スザクは枢木本家と縁を切られても、名誉ブリタニア人となった。
私が久方ぶりにスザクを見たのは、最期に言葉を交わした日から七年後。ブリタニアの第三皇子殺害容疑者として映し出されたテレビ画面の中で、だった。
そして、その日から日本は、世界は大きく動き始めた。
End