まいったなぁ。
特別派遣嚮導技術部の格納庫兼研究室に通じる扉を開けた途端、ロイドは顔をしかめた。
「ロイドさん、おかえりなさい」
出迎える研究員の声が掠れている。
「お疲れさまです」
そう言う研究員の顔色の方が余程土気色だ。
「MVSの破損に関するデータなら、高周波振動の解析結果と合わせてデータベースに移行完了しています」
データを見すぎたのか、目が血走って目蓋が腫れている。
「ああ〜はいはい〜」
エンジニア達の声にいつも通り応えながら、ロイドは内心頭を抱えた。暗いっ。空気が重い。そして、皆何か言うたびにもの問いたげに自分を見ながら、何も言わない。そして溜息が零れる。ああ、鬱陶しい。
先ほど言われたデータベースを少しだけ覗いてみて、ロイドは天を仰いで顔を覆った。全っ然、整理されていない。ただ抽出した各種のデータが放り込まれているだけで、これでは何の役にも立たない。いつもは具体的に指示を出さなくても、実に効率よくデータを分析し、整理し情報として活用できる状態にしてデータベースに乗せるのに。
案の定、解析装置が出鱈目な数値に幻惑されて、意味不明な数値記号の羅列を吐き出し続けている。
必死になり過ぎて、明らかにカラ回り気味だ。
照明はかなり照度の高いものの筈なのに、部屋全体が暗雲に覆われて薄暗く見えるのは何なのだろう。白いランスロットの機体さえ陰を背負って見える。ああ、僕にまで幻覚が見える程、陰気だなんて。
こういうの向いてないんだけどなぁ・・・ボヤキながら一番”そういうの”に向いている己の副官の姿を探して、その姿を目にしたロイドは反射的に回れ右をして逃げ出したくなった。
「ああ・・・ロイドさん・・・帰ってらしたんですねぇ・・・ふふ・・・」
憔悴しきった蒼い顔で、けれど目だけはギラギラと画面を親の仇のように睨み付けて、キーを打つ指は高速で動いている。さすが、と言うべきかセシルは常以上の正確さで作業をこなしている。
けれど、背負う影は誰よりも濃い。影というより、もはや怨念なのでは・・・と幽霊だとか超常現象だとかを一切信じないロイドですら思うほどで、はっきり言って近付きたくない。
「あ〜・・・えっと、スザク君の様子、見てきたよ」
ぴた、と全員の作業が止まり、ざざざっとロイドに視線が集まる。コンピュータの稼動音だけが響く中、数十人の視線を一身に浴びるのは居心地が悪い。常なら人の視線など意に返さないロイドだが、この暗く澱んだ空気の中で怨念の篭った視線の集中砲火を浴びるのはさすがに気味が悪かった。
(ああ、もう何で僕がこんな役目を引き受けなきゃいけないかな〜)
早く研究に戻りたい。ロイドの切実な願いをかなえるには、これを乗り越えなくてはならなかった。
「明日明後日すぐに〜、って訳にはいかないけど・・・まあ来週には復帰できるんじゃない、かな〜」
し〜ん、と静まり返ったまま、反応がない。あれ?とロイドがいぶかしんだのも束の間・・・
「良かったあ」
「やった〜」
「ああ、来週にはあのふわふわ頭が帰ってくるぞー」
「あの笑顔が戻ってくるんだぁぁ」
「良かった・・・スザク君」
歓声を上げるもの、涙ぐむ者様々だが、すっかり大騒ぎになってしまった。え、さっきまでの澱んだ空気はどこへ・・・。
ロイドの困惑を他所に大騒ぎは続く。
「やっぱり一週間に一度はあのふわふわ頭を触らないとな」
「あの笑顔が恋しいっ。ああ、特派のマイナスイオン。ああ癒されたい」
「早く戻ってこい〜枢木准尉っ」
・・・・・・この騒ぎは、あの人には伝えない方がいいだろうなぁ〜・・・。しっかり心にメモをして、ロイドは一番暗かったセシルを見た。
特派の殆どの人間は、暴走した後のスザクの本当の様子を知らない。ただ体調を崩して、入院しているとだけ伝えてある。スザクの姿を見ていなくとも、ランスロットの暴走は皆目にしており、いぶかしむ者も多かったが、それ以上詳しい説明を出来る筈もなく、その説明でロイドとセシルは押し通した。二人の様子に何かを感じ取ったのか、殆どのスタッフがそれ以上詳しく聞こうとはしなかった。その代わり、もしランスロットに何か原因があったのなら、と必死に自分の仕事を連日徹夜でこなし続けていた。
あの姿を見ていないからこそ、多少の違和感はあっても、「来週には出てくる」というロイドの言葉を彼らは喜ぶことができる。これまでの心配も相俟って喜びを爆発させている。けれど、セシルは直接あのスザクの姿を見ている。先程のロイドの言葉だけで安心できる筈もなく、不安の混じった瞳でロイドを見上げた。
「ロイドさん・・・スザク君は本当に・・・」
「”来週”に根拠はないけどね〜。良くなったっていうのは、まあ本当だよ。薬も使わずに眠れたみたいだしね〜」
ロイド自身は、眠る前のスザクの様子を見ていない。シュナイゼル第二皇子から聞いた話と、彼を見送った後でロイド自身が確認したスザクの寝顔からの判断だが、まさかそれをそのままセシルに話す訳にもいかない。まあ、薬を使わずに眠れただけでも随分良くなったと言えるだろう。昨日までは薬を打たないと、一切眠ることもできなかったのだから。
「普通に眠れたんですか・・・?良かった・・・・・・」
そう言って涙ぐむセシルもまたあまり眠れていないようだった。いつから自分はこんなことに気付くようになってしまったのだろう。
「安心した?」
「はい・・・少しは・・・」
「それなら君の今日の仕事はここまで。もう帰っていいよ〜」
「え・・・?」
ロイドの言葉にセシルは戸惑った声をあげた。
「あのねえ、君の方こそ酷い顔してるよ。気付いてないの〜?もう今日の分は出来てるし、だから君はここでおしまい!さよ〜な〜ら〜」
「でも・・・」
それでも躊躇うセシルに、ロイドは分からないように溜息を吐いた。本当に何故自分がこんなことに頭を使っているんだろうか。それもこれも全部枢木准尉のせいだ、よし帰ってきたら彼でたっぷり遊ぼう。そう決めてしまえば、あとは目の前の副官だけだ。
「明日、お見舞い持ってスザク君に会ってくれば〜?」
「あ・・・そうですね。着替えも持って行ってあげないと・・・明日様子を見てから来ます」
おにぎりも作って持っていこうかしら?と呟くセシルは、もうすっかりスザクの見舞いに心奪われている。
「自分も枢木准尉の見舞い、同行させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「あ、自分も・・・」
耳聡くロイドとセシルの会話を聞きつけた研究員達をロイドの言葉が容赦なく切り捨てる。
「ざ〜んね〜んでした〜!君たちは、今日も徹夜で研究、研究、研究!楽しいね〜」
「「「えええぇぇぇ〜!」」」
次々に上がる抗議の声も何のその、ロイドはひょいと先ほどおかしな数値記号を吐き出していた解析装置を指差した。
「君たちはちゃんと自分の仕事をしましょうね〜」
「うわっ何だこりゃ〜〜っ」
確認した研究員の叫びが響く。がっくりと肩を落として、彼らは徹夜を覚悟した。
けれど、その表情に先程の陰気さは無くなっている。「仕方ない頑張るか」「まずは、こいつのデータを何とかするか」お互いに掛け合う声には活気が戻っている。
「ロイドさん、ありがとうございます」
「なにが〜?」
セシルの言葉にロイドが顔を顰めてみせた。その様子にセシルはくすりと笑みを零して、システムを終了させた。
「それでは、私はこれで帰ります。・・・スザク君が、早く戻ってくるといいですね」
「本当だよ。彼がいないとシミュレーションも進みやしないよ」
じゃ〜ね〜と手を振って去っていくロイドの背を見送る。その向こうには、同じように心配していた研究員達がいる。
研究第一、その他のことは二の次、という人間ばかりが集まっている筈の特派の研究員達が、心配して焦って不安を押し込めるように仕事にのめり込んで。中途の仕事を置いてまで、スザクの見舞いに行きたがった。
これがどんなに凄いことか、スザク君は知らないし、知らなくて良いことだけれど。
スザク君はランスロットのデヴァイサーでロイドさんの言葉を借りるなら「最高のパーツ」。その通りだけれど、それだけではない自分のことをちゃんと知って欲しい。
「やっぱりおにぎりを作っていきましょう」
まともに食事を取っていなかったから、殆ど食べられないだろうけれど、あの子はきっと喜んでくれるだろう。
具のアイデアを考えながら歩くセシルの背にもう影は見えず、ランスロットは常に変わりなく白い機体に光を反射させて立つ。
いつも通りの特派の夜の光景に足りないものは、白いパイロットスーツに身を包んだ、鳶色の髪と翡翠の瞳を持つ少年の姿。
そう、あなただけが足りない。
枢木スザク。
だから、早く戻っておいで。
End