スザクの具合が良くなった──身体ではなく精神が──という知らせを受けた時、ユーフェミアは一刻も早くスザクの元に向かいたかった。けれど、エリア11副総督という立場上それは叶わず、じりじりと一秒を一分にも感じながらユーフェミアは副総督の職務から解放されるまでを過ごし、結局その身に何とか自由な時間が出来たのは知らせを受けた翌日の夕方だった。
新宿の軍病院に向かってください、と運転手に告げると随分戸惑った表情をされたし、SPの人達にも止められた。けれど、ユーフェミアに譲るつもりはなく、護衛でしかないSP達に第三皇女である彼女の意思を阻む力はなく、ユーフェミアは希望通り、面会時間内に病院へと辿り着いた。
「──皇女、殿下っ!?」
「ああ、そのままで構いません。スザク」
「しかし」
「私が構わないと言っているのですから。それに患者さんは、大人しくしていないと駄目ですよ」
ユーフェミアがそこまで言うと、漸くスザクは「分かりました」と頷いてベッドから降りようとするのを諦めた。
とてもベッドから降りて良いような状態ではないのに。医者ではないので詳しくは分からないけれど、本当は歩くのさえ辛いのではないかとユーフェミアは思う。顔色もまだ良くは無いし、頬や入院着の隙間から見える腕も細くなったように見える。それでも臣下として騎士としての礼を尽くそうとするスザクのその生真面目さが愛しくもあり、悲しくもあった。その生真面目さ故に同じ目標を描き、そしてユフィと呼ばれることは無くなったのだから。
「あの、他の方は・・・」
「私がお願いして、二人だけにして頂きました」
「それはっ・・・」
幾ら何でもブリタニア帝国の皇女が一兵卒、それも名誉ブリタニア人の兵士の病室に二人きりという訳にはいかなかった。本来一兵卒の見舞いに皇女が直々にその身を運ぶことからして異例中の異例だ。
「特派に出撃命令を出したのは私です。その結果を見届けることも、副総督の職務の一つであると思います」
「・・・・・・」
「と言って、納得して頂きました」
そう言ってユーフェミアは楽しそうに笑った。スザクも仕方が無いなぁと表情に浮かべて小さく笑った。
「あまり無茶はなさらないでください。護衛の方は、貴方の身をお守りすることが仕事なんですから」
「はい」
ユーフェミアは素直に頷いてから、そっとスザクの瞳を見た。こうして話しながらも、まだスザクの瞳を見つめるのが怖かった。もしまた、何も映さない、虚ろな硝子のような瞳を見てしまったら──後悔など許されないと知りながら、後悔してしまいそうだった。
けれど──。
スザクの翠色の瞳には、少し疲れは見えたものの、穏やかな光が宿っていた。これなら大丈夫。きちんと伝えられる。
「スザク」
「はい」
「総督を、お姉さまを助けてくださって、ありがとう」
ゆっくりと、けれど気品を保ったまま、ユーフェミアは頭を下げた。それも日本式の最敬礼で。慌てたのはスザクだ。
「や、やめてください、皇女殿下。自分にそのように頭を下げてはいけません。どうか顔をお上げください」
言葉を掛けながら、この為に人払いをしたのだとスザクは気付いた。ならば、扉の向こうに控えているだろう護衛に、室内の様子を悟られる訳にはいかなかった。
「私の立場を考えれば、このようなことをしてはならないと分かっています。けれど、どうしても直接言いたかったのです。ありがとう、スザク」
「も・・・もう分かりましたから。僕は命令に従っただけですから」
「それでは、私が命じなければお姉さまを助けなかったのですか?」
「それは・・・」
「あなたは命令が無くても、その場に居たなら、お姉さまを助けてくださったでしょう?だからお礼を言っているんです」
ユーフェミアの言葉にスザクは困ったように小さく笑った。けれど、その笑みにいつも程の力が無くて、やはりまだ精神的にも回復しきってはいない様子が見えてしまう。
「スザク・・・あなたはどうして──」
「皇女殿下?」
「いえ・・・」
そこまで人を助けることが出来るのか。自分の身を省みることもせずに。それが例え自分の祖国を、友を、父を殺した帝国の皇女であろうとも。誰であろうとスザクは手を差し伸べるだろうという確信がユーフェミアにはある。けれど、その理由まではユーフェミアには計りかねた。優しいから、というだけで片付けられるものではないと思う。
けれど、それをユーフェミアが尋ねることは出来なかった。ブリタニア帝国第三皇女である自分は、最もそれを聞く資格を持たない。
「スザク、お姉さまを助けてくださったことには感謝しています。けれど、これからは、どうかスザク自身の身も守ってください」
「僕自身?」
スザクが不思議そうに首を傾げた。その様子をユーフェミアは悲しい思いで見つめた。
「たとえお姉さまを救って頂いたとしても・・・スザクが今回のように傷つくのを見たくはありません」
「皇女殿下・・・」
「貴方はこれからもランスロットに乗り戦い続けるでしょう。でも、貴方は人のことばかり考えているから・・・私は・・・。私だけではありません、特派の方々も皆心配してしまうんですよ」
「自分は皇女殿下が仰る程お人よしでは・・・・・・」
「ほら、やっぱりスザクは分かっていないでしょう」
スザクの控えめな反論をきっぱりと否定して、ユーフェミアは細い手でスザクの左手を包む。驚きながらも、まさか皇女の手を振り払う訳にもいかず、スザクは戸惑った瞳をユーフェミアに向けた。
「スザクのことを案じている者がいることを忘れないでください。そして・・・辛い時には私を呼んでください。次は、私がスザクを助けます」
はっとしてスザクがユーフェミアを見る。その瞳にはただ真摯な色があった。
「あの・・・でも・・・それはちょっと難しいのでは・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・すみません」
ユーフェミアに睨みつけられて、スザクは謝罪を口にした。その言葉にますますユーフェミアはむくれた。
「謝って欲しいわけではありません」
「すみません」
「ほら、また」
「あ・・・」
ユーフェミアにも、自分が言っていることが難しいことは分かっている。何より無事でいて欲しいと願うスザクに命令を下すのは、他でもない姉か自分なのだ。
矛盾に気付いていても言わずにはいられないのは、自分の我侭だけれど。その言葉がスザクを引き止める鎖となるなら、我侭でも卑怯でも自分は口にする。
「約束して頂けますか?」
「・・・それは、命令、ですか?」
「いいえ。これは皇女としての言葉ではありません。ユフィとしてのお願いです」
「・・・・・・分かりました。お約束します・・・・・・皇女殿下」
少しだけ包まれていた手に力を入れて握り返した後、やんわりとスザクはユーフェミアの手を離した。ユーフェミアがわざわざ「ユフィ」と言った理由をきっと正確に分かっているのに、それでも臣下としての誓約をスザクは口にした。
約束してくれた嬉しさよりも、寂しさが上回りながら、ユーフェミアは精一杯笑顔を浮かべた。
「はい、約束ですよ」
それでも、この約束が少しでもスザクを繋ぎ止めてくれるなら、どんなにか細い鎖でもその身に掛けてしまいたかった。
スザクが本気になったなら、ユーフェミアが掛けた鎖など、容易く引き千切って手の届かない場所に行ってしまうと分かっていても──。
End