翡翠に映る数多の人の姿に気付かなければ
 自分はこんな想いに囚われることはなかったのだろうか。

 意味のない仮定と知りながら、願わずにはいられない。

 スザクの瞳に映るのは、自分一人で良いと──。

あなたの唯一人になりたかった

 今日はスザクは学校に来ていない。午後からなら行けるかも、と昨日言っていたが昼休みを終えてもスザクは学校には現れなかった。
 どうしようもないことだと分かっている。スザクは自分の願いを理想を叶える為に、祖国を奪ったブリタニアの軍に属している。こうして同じ学校に無事に通えるだけで奇跡に等しいのだ。けれど、こんな時スザクの存在を遠く感じてしまう。もしまた何かがあって、二度と学校に来なかったら、今度こそ自分の前から永遠に姿を消してしまったら。どうにもならない不安に幼い子どものようにただ怯えることしか出来ない自分を自覚してしまう。
 ──否。自分は王の力を手に入れた。そんな不安を感じなくてすむ穏やかな世界を手に入れてみせる。
 それでも拭いきれない不安は滓となって暗く横たわっている。
 時計を確認すれば、次の授業開始が迫っていた。移動時間を考えるともう走らなければ間に合わない時間だ。さすがに教室にはルルーシュ以外に生徒の姿はない。
 いつまでも呆けていても仕方がない。これでは、シャーリーやリヴァルに「具合でも悪いのか」と心配されるのも無理のない話だ。教室移動前のシャーリー、リヴァルの二人と交わした会話を思い出して、ルルーシュは苦い笑いを浮かべた。

 「あれ、ルルーシュ?」

 「・・・・・・ス、ザク・・・・・・?」

 教室の入り口から掛けられた声にギクシャクと振り返る。これは自分の願望が見せた幻だろうか。あまりのタイミングの良さに、名前を呼んだきり、何も言えない。
 「おはよう。・・・って時間じゃないか。でも、どうしたの?次移動教室じゃなかったっけ?」
 固まるルルーシュの様子には頓着せず、首をかしげながらルルーシュに近づいていく。
 「今日は・・・軍の仕事じゃなかったのか?」
 「うん。少し遅くなったけど、最後の授業には間に合いそうだったから、走って来た。間に合ってよかったよ」
 話す間にもてきぱきと次の授業の教科書やノートを出していく。
 「うわ、でももう時間ないね。走らないと遅刻だよ」
 少し焦った顔のスザクが、座ったままのルルーシュに手を伸ばす。
 この手を取って次の授業に行けば、シャーリーやリヴァルがギリギリになって教室に入ってきた俺に小言を言い、スザクの姿を見つけて驚きと喜びの声を上げるだろう。あの二人はちゃんと枢木スザクという一人の人間の姿を見ていて、どんなに良い奴なのか知っているから。
 そして、そんな二人にスザクも笑顔を返すのだろう。

 ──俺以外の人間に。

 それを耐え難く嫌だと思う。いつもなら、スザクの良さを分かってくれて、普通に一生徒として接するシャーリーとリヴァルに感謝さえできるのに。
 「・・・ルルーシュ、どうかした?早く行かないと本当に遅刻し──っ!」
 差し出されたままだったスザクの手を引いて、思い切り抱きしめる。スザクの腕から滑り落ちた教科書や筆箱が、派手な音をたてて床に散らばった。
 「えっ・・・あの、ルルーシュ?」
 戸惑ったスザクの声が頭上で聞こえるが、よりきつく抱きしめる。逃がすまいとしがみついて、まるで寄る辺無い子どもが縋りついているようだと苦い思いになる。
 「どこか具合でも悪いの?お腹が痛いとか」
 「・・・違う」
 「えっと・・・」
 「・・・・・・」
 スザクが戸惑う気配が濃くなる。それを十分に認識しながら、離せない。今スザクを離すと自分の知らないうちにどこかに行ってしまいそうな不安を拭えない。けれど、同時にこの教室に二人きりであることに喜びも感じている。誰にも見せずにすむ、今スザクは腕の中にいて、自分一人だけを見ている、と。それは暗い滓に凝った醜い感情だ。七年前から静かに少しずつ、けれど確実に積もった滓は、もう消え去ることも無ければ、見えない振りをして誤魔化すこともできない。

 ──ならば、もう全てを受け入れて認めるしかないじゃないか。

 滓となり凝ってしまった感情の名を、本当は昔から知っていた。

 沈黙が支配する中、二人だけの教室には大きすぎる始業の鐘の音が響く。
 「ルルーシュ、チャイム鳴ったよ」
 「・・・そうだな」
 「・・・・・・もう仕方ないなぁ。僕、ずっと走ってきたのに」
 スザクの言葉は恨み節だが、怒った気配は少しもなく、寧ろルルーシュに対する気遣いに溢れていた。
 「ごめん」
 「いいよ。ルルーシュが落ち込んでいるみたいだから、僕で良ければ慰めてあげるよ」
 僕じゃ物足りないだろうけどね。
 ルルーシュの気持ちを軽くしようとしたのか、ことさら明るくスザクの言葉は続く。そして慰めるように、ルルーシュの背中に伸びた手がぽんぽんと柔らかく叩く。
 「・・・それ、何か落ち着くな」
 「そう・・・?それじゃ、もう少しこうしてるよ」
 「子どもみたいだけどな」
 「僕はこんなに大きな子どもを持った覚えはありません」
 「俺もこんなに胸の無いお母さんを持った覚えはないな」
 「む、胸って・・・。それより、せめてお父さんにしてよ」
 からかうルルーシュにスザクの拗ねた声が返る。
 「スザクはお父さんっていうより、やっぱりお母さんの方が似合うぞ。ほら、なんて言ったかな?日本のお母さんが着けている・・・日本のエプロン」
 「・・・・・・割烹着のこと・・・?」
 「そう、それ!カッポウギ。きっとよく似合うぞ」
 「・・・・・・・・・ルルーシュ・・・」
 割烹着が似合うって・・・あんまりだよ。と嘆くスザクだが、その間もルルーシュの背中を一定のリズムで叩く手が休まることはない。
 スザクの手が触れる度に、ほんの少しずつ凝っていた滓が溶けて、優しい色を持つ物に変わっていく。鮮やかな気配ではないけれど、優しく穏やかな空気は確かにルルーシュの心を慰めている。

 そのスザクの優しさは、決して自分一人の物にはならないと分かっていても──。

 スザクは今までもこれからも、唯一人だけを見つめることを良しとはしないだろう。スザクの瞳にはあらゆる人間が映る。それはイレヴンであろうと、ブリタニア人であろうと、皆分け隔てなく平等に同じように映るだろう。だから誰に対しても同じように優しい。 そこに困っている人間や落ち込んでいる人間がいれば、スザクは何の躊躇いも無く手を差し伸べるだろう。
 それが俺以外の人間であろうと、全く同じように。
 スザクの優しさはとても寂しくて、そして残酷だ。
 それを知っていても、分かっていても、願ってしまう。

 スザクの瞳に映るのは、自分一人で良いと──。

 なあ、スザク。
 七年前も、落ち込んだ俺を慰める為に背中を撫でてくれたけれど。背中に触れる優しい温もりだけで満足できたあの頃には、もう、戻れないんだ。

End

2006.12.09

ルルーシュ誕生日小説が全然終わる気配を見せないので、こちらを先に完結。
ルルーシュから見たスザクの話。ルルーシュの思考が乙女入りすぎですね・・・。
スザクはルルーシュが思う程の博愛主義では無いと思うのですけれど、
まあ、ルルーシュから見たスザク、なので。
この話のスザク視点も書けたら書きたいです。