「ルルーシュ、大丈夫?」
「・・・この状態を見て、大丈夫と思うのか、おまえは?」
「・・・・・・思わ、ない、かな・・・」
しん、と見上げる俺と見下ろすスザクの間に重い沈黙が落ちる。動けない俺の様子を見て、スザクはするすると
登っていた大木から下りてくる。その手際は、むかつく程慣れていて、何の苦もなく下りているように見える。
俺が登れもしなかった木なのに!
一番下の枝に辿り着くと、枝を蹴って軽々とスザクは飛び降りた。
「どこか痛む?」
「・・・背中が痛い」
寝転んだままの俺の傍に両膝を突いて、心配そうに顔を覗き込んできたスザクを力いっぱい睨んでやる。
冗談じゃない、なんでこんな痛い思いをしなくちゃいけないんだ!それもこれもスザクが木登りしよう、なんて
言い出したからだ。スザクは簡単だよって言ったのに、ごつごつした木に掴まることも、小さな枝に足を掛けて上に
上がっていくことも全然出来なかった。
腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ!
背中の痛みも、木に登れなかったことも。
その調子の良さも能天気なトコも全部全部反省すればいいんだ。意地悪な思いでいっぱいになって、全部の怒りを
込めてスザクを睨みつけるながら、酷い言葉を投げつける。
「凄く痛い。・・・スザクのせいだ」
そう言った瞬間、スザクの顔がくしゃりと歪んだ。きゅっと唇を引き結んで、両膝の上の手が握りこまれる。
「・・・・・・ごめん。ごめんね、ルルーシュ」
しばらく黙った後のスザクの謝罪を聞いて、途端に俺は自分の言葉を後悔した。スザクが悪いんじゃない。
スザクのように上手く木登りできなくて、スザクの目の前で木から手を滑らせて無様に転がった自分が許せなくて、
腹立たしくてスザクに八つ当たりしただけだ。
なのに、なんでスザクが謝っているんだ。
スザクが悪いんじゃない。木の上だと風が通って気持ち良いよ、登ってみる?と誘ったスザクに登りたい、と
頷いたのは自分だ。
見上げたスザクは、叱られた子犬みたいに悲しそうな瞳をしていた。くそっ何で俺はスザクにこんな顔をさせて
いるんだ。
「・・・・・・このっ・・・馬鹿がっ」
片肘を突いて身体を起こしてスザクの腕を掴む。俺の言葉にか、掴まれた腕にか、スザクがびくりと肩を揺らした
けれど、構わずに怒鳴りつける。
「おまえは馬鹿だ。なんでおまえが謝っているんだ。おまえは何にも悪くないのに、謝ったりするな」
「・・・ル、ルーシュ?」
スザクが不思議そうに俺の名前を呼ぶ。ゆっくりと息を吸ってスザクの瞳を真っ直ぐに見つめる。こんな時なのに、
スザクの瞳は綺麗だなと思う。日本の柔らかい木々の翠と同じ色の瞳を涙で曇らせたくなんかないんだ。
「ごめん」
謝るとスザクの瞳が大きく見開かれる。首をことり、と傾けてスザクが不思議そうに俺を見る。
「なんでルルーシュが謝るの?」
どうしてそうなるんだ!?
「なんで・・・って・・・落ちたのは俺が上手く登れなかったからで・・・。それなのにスザクのせいって
言って・・・スザクは悪くなんかないのに」
改めて口に出すと、情けなさにスザクの顔を見ていられなくなる。けれど、俯いた俺の顔を上げさせたのは、
そのスザクだった。
「違うよ。ルルーシュは、木登りは初めてだって言ってたのに、僕がちゃんと教えて上げられなかったから・・・」
だからごめん。
そう言って謝るスザクは本当に・・・本当に・・・
「馬鹿だっ」
「えぇぇ、なんで」
「馬鹿だったら馬鹿だ。おまえはちゃんと、どの枝に足を掛けろとか、どこに指を掛けろとか言ってたじゃないか。
それなのに面倒がって、一気に登ろうとして勝手に落ちた俺が悪いに決まってるだろう」
一気に捲くし立てるとスザクの瞳が大きく見開かれた。それからぱち、ぱちとゆっくり二回瞬きをすると、
今度はスザクが反撃に出た。
「違うよ、僕が悪いんだ。僕がもっとちゃんと教えて上げられれば・・・そもそも僕が木登りしようなんて
言わなければ」
「木登りしたいって言ったのは俺だ。なのに何でそんなこと言うんだ」
きっと、「言わなければよかった」と続いた言葉を大声で遮る。だってそんな言葉、聴きたくないんだ。
「だって・・・ルルーシュに怪我させたんだ」
「え?」
「ルルーシュに怪我させちゃうくらいなら最初から・・・。ごめんね、まだ・・・痛い?」
「・・・・・・」
ああ、もう本当に・・・本当にこいつは馬鹿だ。俺の言葉を疑うことも、俺の方が悪いなんてことも
全然考えやしないんだ。
「ルっ、ルルーシュ!?」
スザクの背中に腕を回して、力いっぱい抱きしめたら慌てた声が返ってきた。そう言えば、日本人はスキンシップ
が苦手だって誰かが言っていたな。
「えっと、あの、背中が痛いの?」
勘違いしたスザクが、ゆっくりと俺の背中を撫でる感触が伝わってくる。
「うん、まだ少し。でも、そうして貰ったら楽になるみたいだ」
嘘だけど。
「じゃあ、もう少しこうしてるね」
背中の痛みなんて、スザクと話している間にすっかり忘れていたけれど。でも、俺の背中に触れるスザクの手が
あんまり気持ちよくて、手放せなくなる。もう少しだけ、もう少しだけと心の中で呟きながら、いつまでも
こうしていたいと思ってしまう。
「・・・ルルーシュ、もう大丈夫?」
どの位経ったのか、しばらくしてスザクが遠慮がちに手を止めた。
「ああ・・・平気だ。・・・ありがとう」
離したくなんてなかったけれど、もうこの位にしておかないと、スザクのことだから病院に行こう、なんて
言い出しかねない。最後に感謝の意味も込めて、少し力を入れて抱きしめるとスザクも同じように抱き返してくれる。
ゆっくり身体を離すと、スザクは嬉しそうに微笑んでいた。
「どういたしまして」
その瞬間、もう一度スザクに伸びかけた手を、慌てて止めた。幾ら何でも、もう一度やったらお人よしの
スザクだって何事かと思うだろう。
「ルルーシュ?」
「あ・・・何でもない」
立ち上がって足に付いた草やら土やらを払う。
「ルルーシュ、背中にも付いてるよ。ちょっと向こうを向いて」
言われた言葉に従ってスザクに背中を向けると、スザクの手が背中に触れる。さっきとは違って汚れを
落とすために。
「よし、大分綺麗になったよ」
「そうか。ありがとう」
「ううん。気にしないで。背中は、本当にもう大丈夫?」
「ああ、何ともない」
そう言った瞬間、スザクは笑顔になった。やっぱりスザクは笑っているのが一番良い。けれど・・・その後
スザクの口から飛び出した言葉に、俺は不覚にも固まってしまった。
「それじゃ、もう一回登ろう、ルルーシュ」
「え゛!?」
そんな満面の笑みで言われても!何と言って誤魔化そうか、と思考を巡らせていると、俺が何を言う間もなく、
スザクが更に追い討ちをかけてくる。
「本当にこの木の上って気持ち良いんだよ。そりゃ、登るのはちょっと大変だけど・・・絶対登って損はないよ」
そこまでは笑顔だったのに、「あ、でも・・・」と言ったスザクの顔は少し曇ったものになった。
「本当はまだ背中が痛いんだったら、今日は止めよう。いつだって登れるんだし、
ルルーシュは直ぐに無理しちゃうから」
無理をするのはどっちだ、と言いたいけれど、スザクが「ルルーシュ」と答えるのは分かりきっている。
第一スザクに寂しそうな顔をされたら、嫌だなんて言えないじゃないか。
「いや、もう痛くない。そうだな、そんなに気持ち良いっていうなら、もう一度挑戦するのも悪くないな」
ああ、もうこれで再挑戦が決定だ。
「良かった。今度はルルーシュが先に登ってよ。僕は下から声を掛けるから」
「・・・・・・おまえ、まさか俺がまた落ちたら受け止めようとか考えてないだろうな・・・」
「え・・・そっそんなことないよ」
目が泳いでるぞ、スザク!くそっ絶対にそんなことさせるものか。
「いいから、スザクが先に登れ」
「でも・・・」
「やっぱり、俺がもう一回落ちると思ってるのか?」
少々低い声で言ってやれば、ぶんぶんと勢いよく首が左右に振られる。
スザクの柔らかい茶色の髪も少し遅れて揺れる。
「スザクが登るのを見て、手順を覚えるから大丈夫だよ」
「うん・・・分かった。それじゃ、しっかり見ててね」
俺が手順を覚える、と言ったからか、さっきはするすると登っていた木を今度はゆっくりと登っていく。
最初に足を掛ける場所をしっかり確認して、左手は幹に添えたまま、足に力を込めて少し幹から飛び出している枝を
右手で掴む。そして枝を掴むと直ぐに、逆の足を僅かなへこみに掛ける。それから、また手を伸ばして・・・
身体を持ち上げて・・・足を掛けて・・・という作業を淡々と続けていく。そうして最後に大振りの枝を掴むと、
勢いよく身体を持ち上げてちょこんと枝の上に座った。
「ルルーシュ、大丈夫?」
「大丈夫だ。手順は完璧に覚えた」
「そっか。凄いね」
素直に感心されれば、悪い気はしない。だが、目の前に聳える木は、まさに大木だ。
スザクが座っている枝なんて、自分たちの身長の優に三倍の高さにあるだろう。さっきは殆ど登らないうちに
落ちたから平気だったが、あの高さから落ちたらただでは済まないだろう。
「ルルーシュ、頑張れ」
木の上からルルーシュの声援が聞こえてくる。落ちれば無事ではないだろう
けれど、あの枝の上ではスザクが待っている。
「そこで待ってろ」
どんなに困難な道、いや木だって、スザクがそこにいるなら、俺は辿り着いてみせる。
スザクの声援を受けながら、木の皮で手に散々傷を作って登った木の上は、普段は塀に遮られて通らない風が、
遮るものなく通っていて、スザクの言う通りとても気持ちが良かった。葉の重なりの間から零れる日の光は
きらきら光って綺麗だし、木の上から眺める庭も普段とは全然違う景色で面白かった。
「ルルーシュ、どう?気に入った?」
「ああ、気に入った。凄く気持ち良い。登って良かったよ」
擦り傷が一杯出来たけどな、そう言って掌を見せたら「うわ、痛そう。大丈夫?」なんてまた心配そうな
顔になる。
「大丈夫だよ、このくらい。この気持ち良さと引き換えなら、安いものだよ」
「そっか。でも後で消毒はして貰った方がいいね」
「そうだな」
ふと、遠くからスザクと俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。庭で遊んでいた筈の俺達の姿が見えないから
心配しているのだろう。
「僕達のことを呼んでるね。そろそろ降りようか」
名残惜しかったけれど、心配させる訳にはいかない。ナナリーも待っているだろう。スザクの言葉に頷いて、
幹に近いのは後から登った俺の方だから、と先に降りようとして・・・重大な事実に気付いた。重大で緊急で
危険な事実だ。
「なあ・・・スザク」
「なに?」
「これ・・・どうやって降りるんだ?」
「あ・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
くそっ、やっぱり木登りなんて嫌いだ!
End